私のフリーランスの道 ⑤
屋号は?「スマイルプラスコンサルティング」(後で思えば長い名だったかな~)
現在はSPCで名前も通るようになりました。
ホームページもほぼ徹夜で作り、少し問合せなんて期待しながらぼちぼちとスタートしたことを覚えています。
フリーランスとして2,3の企業さんのコンサル契約があると良いのですがまずは1社からスタートしました。2019年4月の頃でした。
業務委託としてコンサル?顧問契約として若手の後方、会社の後方支援がメインでした。あるときは新規商談、またある時はクレーム動向、ある時は新人研修など経験を活かした仕事につけていたことも幸いせな毎日でした。
しかしコロナ感染の発生から会社、社会、日本、世界は変わり 固定費を削減する動きもあり私は2020年3月末で顧問契約の解除となり、0からのスタートが始まりました。
社員はある程度守られていますが業務委託契約は簡単に契約解除になる現実を経験した。社会人としてどちらかと言えばエリートコース的にトップまで務めていた自身にとってはショックでした。しかし悔しさよりフリーランスへの「覚悟と執念」があったことでスキルアップ(ほぼgoogle先生とYouTube先生+図書館で専門書から学ぶ)意欲もわき、Web関係について多くを学び実践を始めました。
私のフリーランスの道 ③
60歳にしてIT企業に入社 毎日が変化に挑戦の楽しい日々でした。
会社の平均年齢33歳という若い会社での環境も楽しさの一つでした。
最初はIT用語の理解?「ドメイン」「DNS」「WWW」などなどを自身で図を描いて、YouTube動画で繰り返し学び、理解して、社内でも教えて頂きながらなんとか1カ月でホームページ作成、提案が出来るようになりました。心掛けたのは「専門用語」を最低限に抑え、お客様に理解をすることと、本来の悩みに注力しヒヤリングをしていました。聞くことに7割を意識してコミュニケーションをとりながら受注を頂くケースが増えてきました。
年齢的なところから安心感を頂けたようです。「感謝です」
私はお客様に理解を高めるために提案と同時に完成時のイメージを頂くためにデモを行うようにも心掛けました。
そんな中、私も半期でトップ営業へ、のち統括の責任者になりました。
給与が上がることは良いのですが、散々行ってきたマネジメントには少し引き気味ながら事例を受け全国にあるパートナーとの取引責任者になりました。
私のフリーランスの道 ①
私が大手のメーカーの仕事で50歳から単身赴任、仙台、大阪、福岡の支社長をしていた頃は忙しくも楽しい日々の生活をしていました。
家を守ってくれた妻には感謝しかありませんが収入も今思えばピークだったかな?(年収:1500万)息子2人が大学生、お金もかかった時期でした。
57歳頃、もうすぐ定年かぁなんて意識しはしめました。
自身の定年後を想像しながら自身の経験、スキルを持って何で稼げるかなぁ?
その頃は、本社(東京)に戻り、全国を飛び回っていました。